結城康平著 欧州サッカーの新解釈。ポジショナルプレーのすべて について

興味深い人物が本を出したので、何度か読み通し、その感想と書評を書く。

欧州サッカーの新解釈。ポジショナルプレーのすべて (footballista)

欧州サッカーの新解釈。ポジショナルプレーのすべて (footballista)

結城康平著 欧州サッカーの新解釈。ポジショナルプレーのすべて

巷間流行っている言葉である「ポジショナルプレー」という言葉についての考察の本で、まずそもそも「ポジショナルプレー」という言葉が何ぞや?という点に
「Juego de Position」の英訳であることが知らされる。
そこで、本文の問題が浮かび上がってしまう。「ポジショナルプレー」という言葉の主語(主体)が、何なのか。これが全くわからない文章になっていることである。


 ポジションを動かす主体は実際のフィールドに立っているサッカー選手なのか、チェスの棋士のような立場にある監督なのだろうか、このJuegoという言葉の捉え方で全く違う方向の考え方ができてしまう。この点は様々な要素への配慮が省略された上でポジショナルプレーの一例として92頁などで表される図であったりと、高々そんなことに「ポジショナルプレー」と名前を付けるわけですか?と疑問が残ってしまう。
 これは「Jeux d'eau」という言葉の解釈に近い。水は遊ばないのであり、そこにJeuxを見るのは別の視点から見る主体である。が、動きは水にあるのだから、なおさら訳語の難しさであると、本書を一度目に読み通している際に思ったことである。
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 そう、この本の特徴的な問題点は、省略されてしまっている要素が、大きいところである。
119頁の「三角形だと考えられている」という書きぶりで、ここで省略されると読む側は唖然とする以外にない。「コンパス」という言葉も最初に出てきただけでうまく敷衍できていなかった。勿体ない。
 またサッカー(英国的にはフットボール)に於ける、プレーと言う面とチェスマッチの面での差異を考える必要があったと思われる。サッカーとチェスの違い、「手番」「駒」について。チェスは先手と後手が常に一手ずつ駒を動かす競技であるが、サッカーの場合は一度の複数の選手が動くこともあり、コンビネーションとして相手を攻め、攪乱させ、ゴールを奪う目的へと進める。常に一手一手相手の出方を見て応手するわけではないし、先に応手を用意してしまっていることもある。(チェスで一度に二手打てたらどれだけ局面を打破できるかと頭をよぎることは誰にでもあるはずである。) フィールドプレーヤーは決められた立ち位置にいることを必要とされない。マス目という概念すらないのだ。相手にとって脅威な場所に選手は特定の位置に固まることもあれば、相手選手を追って既定のポジションを離れて奪取に向かう選手もいる、「駒」ではないのでフィールド内であれば動く位置に規制はなく、優秀な選手であれば特定のポジション以上の運動量を発揮することもある。クィーンがナイトのような動きで駒を取っても問題はないのだ。加えて、フットボールでは同じミッドフィールダーでも1試合に12km走る選手と10km走る選手ではゲームで考える戦術は変わってしまう。


 プレー例の紹介として「アイソレーション」が示されるが、サッカーの目標がゴールであることを考えると
1. アイソレートされた選手が、如何なるアクションを取るか
2. アイソレートされた選手がいることを前提に、味方選手は如何なるアクションを取るか
3. ゴールは如何にして生まれるか
についてが重要になると筆者は思うが、省略されてしまい明確な答えを得られない。
ドグラス・コスタが重要であることは理解できるが、チームの中ではロベルト・レバンドフスキトーマス・ミュラーなどの存在がいなければ、活躍を考えられない。
斯様に本書に紹介される様々な選手にたいして、省略されているであろう選手たちへの考慮が、意図的に持論を通すために行われているように思えて違和感を感じるのである。(例えばフェレンツ・プスカシュは何故文章に出てこないのだろう?)

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 結局ポジショナルプレーとは何か、本文に出てくる「フレームワーク」という言葉を借りてしまえば、たまたま発生した事象を勝手に「枠に填めた」くらいの話なってしまう。解釈といえばそれまでの話だが。極めて強引で省略が多い。
 そこで気になったのが「偽SB」という言葉である。一応、市民権ある言葉になりつつあるのであるが、解釈の取り方が気になる。「偽SB」と同様に使われる言葉が「Inverted Fullback」である。適当な訳語がないが「過去の定石に対し逆方向に動く」選手のことであるが、そもそもそのような選手が新しいわけではない。セレソンにいたレオ・ジュニオールは筆頭に挙げられる選手であるし、マルセロ・ビエルサのアルゼンチン代表にいた頃のファン・パブロ・ソリンは今でいえば「偽SB」と当たるだろう。
現象は新しいことでもない上、重要なことは
・「SB」に配置されている選手が既存の考えを超えたポジションまで進出し活躍する
・局面においてSBの選手の分、数的優位が発生する。(選手の質を考えた場合、質的な脅威はさらに大きいものと考えられる)
というようなことであるわけだから、「偽SB」は役ではない。まして新しいポジションでもない。
あくまで言葉として重要なことは「SBが何かしている」、チェスに言い換えれば「ルークであると同時に、ナイトの動きまでする」となったら対戦相手の応手は必然的に別物になることを認識することだと思われる。
そういった点で「偽SB」という言葉だけが大きくフォーカスされてしまうのは、意味がないし勿体ない。重要なことはフルバック(日本では「サイドバック」という言葉の方がよく使われる)がより複数ある方策を遂行する点を認識するべきであろう。


 上記のような概念の問題点を除くと、本書の白眉はインタビューの章であり、実際の監督が考え方を言葉にして選手に落とし込むのか、の実践を見ることは興味深い。この章の価値は非常に大きい。このように書いてしまうと、この本は解釈の一例であったと捉えてしまうことになるのだが。他分野の概念の紹介は面白いし、為になるが、肝心要のフットボールへの切り口が薄く省略が多いのは、解釈されるフットボールがいかに広範囲で歴史が網羅して書かなければならないかという対象物としての難しさだろうか。



さておまけ
P84 FCユベントス(正:ユベントスFC
クアドラードを攻撃的MFに移動させた(どこから??)
P67 テアシュテーゲン(正:マルク=アンドレ・テア・シュテーゲン、初出はフルネームだった選手の表記がここだけ雑)
P151 ラ・ポルペ(正:ラ・ボルペ)
P189 前述(前章の151pのことだったようで、探さなければわからない)