やはり人のインテリジェンスをはかるに、ボキャブラリーは大きな要素となる。大昔は四書五経なんてモノはたやすく、李白杜甫、白楽天となるわけだが。話を戻すと、残渣が読めなかったわけである。読めぬ存ぜずだったわけで、ちょっと悲しくなった。
まぁどこを出ていようが、字を見て大体の意味の予測はできると思うが、高校生で学んだ漢字だったと思うので悲しい。残渣と残滓はちょっと意味が違うんだよなぁとか考えて話を流したが、流石に言葉の意味を人に問うのは辛いことなので本を読んだり勉強しなきゃとか、思う毎日。あとは実行できればね。
別にボキャブラリーとは言葉を多く知っていると言うよりも、言葉どれだけ巧く使うことができるかによると思うけど、語彙は必ず人の指標となるよ。

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別にこういうことを言いたいのではなく、どちらかといえば
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って感じだろうか。
ときどき
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を贈ってあげたくなる。練習帳とか学習帳とか小学生みたいでイヤだな。贈られたら。