デニス・ラッセル・ディヴィスの変態的なリヒャルト・シュトラウスを聴くと
同じアプローチで一応の成功をしたブルックナーシュトラウスの音楽的な包括力の違いが
はっきりと分かってしまう。
ケーゲルの非常にゆっくりと深淵なバッハのエアーを聴いて涙をしてしまうのと同じだ。
そしてシュトラウスの場合は・・・・・ 失敗以外の何者でもない。