12時の5分前ほどに森美術館に到着。人が思った以上にに多い。しかも若い人間が多い。しかし会話を聞いてみると「何があるの?」とかいう発言が多い。悪いがそういう人間には向いていない展示だ。
10分くらい待って、森美術館に入場。相変わらず、エレベーターに監禁されるのが非常に辛い。耳が痛くなるし、途中で止まるのではないか?と思ってしまう。
他の作品に目もくれず、サッサとイヴ・クラインの「青のモノクローム」の前まで行く。そしてずっと見る。30分以上見たら、一度色々展示作品を見て回る。マグリットタンギー、エルンストを見る。そして、ゴンサレスの「無題USAトゥデイ*1の飴を取り、スタッフに銀紙を差し出す。知らない人間は「何してるんだ!アイツ」という顔だ。というか私から見たら、「知らないお前は現代に取り残された。バカめ」というような感じだ。
また「モノブルー」に戻る。かなり長い時間見ていたら、スタッフに「お客様、この作品を長く見ていらっしゃいますが、他にも作品もありますので」と言われる。「私はこれを見に来たんだ」と返答。そしてスタッフと会話。なかなか楽しかった。ただ「何でマルセル・デュシャンが無いんだろうね」と言ったら、非常に困った顔をしていた。
ということで色々回ることにした。すると知らない人に「あの青い絵は何が凄いんですか?」と質問される。真面目に答えてみた。本当に分かったのかどうか知らないが、一応オーセンティックな回答をしておいた。
しかしながら、長い時間あったなか、3時間ほどは「モノブルー」の前に立っていた。あの絵は『青に取り憑かれた』人間には「真理」(ハイデッガーの芸術作品の起源から引用)なんだと思う。それほど長く、あの絵を見ていたのだが、論理的説明、美学的説明は可能なのだろうかと、考え出す。これが非常に難しい。「青は記号として成立するのだろうか?」「抽象絵画として[モノブルー]は成立するか?」「イヴ・クラインの作品として[モノブルー]だけが特殊なのだろうか?」とか色々考えたよ。完璧な解説は思いつかない。月並みな解説は色々なされたのであるが、世に出ている書物には、本当に感銘するような哲学的説明があるので、私が試すならクラインか。ちなみに言うと、カンディンスキーモンドリアンマレーヴィチ等の抽象絵画も、マグリットタンギー、キリコ等のシュールレアリスムももう説明としての方法論が成り立ってしまっているのさ。デュシャンすら、ティエリー・ドデューヴの素晴らしい2作の論文がある。

結局、結論なのだが、多くの人間が来た割にクラインの作品を1分以上見た人間がどれだけ少なかったことか! それからクラインの作品の理解者が外国人の方が多かったことが非常に新鮮だった。英語と仏語と独語は聞き取れたが、非常に相手に対しての説明も上手だった。一人は絵の前で髪型を整えたりしたので、あの人間は非常に高度な理解者だと思う。

最後に、六本木駅で並んでいる人々。地下鉄のシャッター降りてた。そして六本木駅に客多すぎだよ。そして帰ってエレベーター乗ろうとしたら、上の階の人が一緒に乗ってきたよ。向こうも帰ってきた様子だったのでどこから帰ってきたのか疑問だ。

というわけで、今度は
BUNKAMURA グッゲンハイム美術館
http://www.bunkamura.co.jp/museum/event/guggenheim/index.html
http://www.guggen.jp/
と 東京都現代美術館 花と緑の物語展だ
http://www.mot-art-museum.jp/ex/plan_h16-03.htm
感動してくる。いつ行くかは分からないが、10月までの間に行く。