Judgement

懐かしいなぁ、入浴の人

世の中公平な裁量を取られて然るべきなのであるが、個人個人の判断は個人の基準によるものであり、結局個人の基準が比率数の基準が如何ほどに正しいかが本題となるのである。しかしながら、量質ともに明らかに誤っている人間にそれを正せということほど難しいものはない。結論めいて言うと、ヘーゲルの哲学は良いのだが、一般的ではない。弁証法における否定は常に肯定の存在を要するとか、絶対的なものが常に相対的になるとか、良いのだが、理解しない人間には無用の用。それを看破するのは理解できないバカではなく、ドストエフスキーのような天才なのであるが。(勿論ヘーゲルも天才である)