• 因縁1

UEFAチャンピオンズリーグの組み合わせが決まったわけですが、色々因縁有りますが、衝撃的な結末で終わったと言えば、やっぱりクーペルダービー、2002-2003シーズンのインテル・ミラノバレンシアですな。(個人的に思い入れがあるのは7シーズンで4回当たっているマドリードバイエルン
2000年、2001年とバレンシアをチャンピオンズ決勝に導いたエクトル・ラウル・クーペルインテルに移籍、2001-2002シーズンのインテルは最終節にラツィオ相手に劇的な負けでスクデットを取り逃したわけですが、チャンピオンズに進出。そして運命の悪戯か、古巣との対決と。
第1戦、クリスチャン・ヴィエリのゴールを守りきって勝利したインテルはメスタージャへ。メスタージャでの試合はエルナン・クレスポのスルーパスロベルト・アジャラがクリアミス、そしてヴィエリサンチャゴ・カニサレスを交わしてゴール。(試合後アジャラはチームメイトに謝罪したそうだが、悔やんでも悔やみきれない。)
ここから、怒濤のバレンシアの攻撃。パブロ・アイマールが失点後すぐに1点を取り返し、後半にルベン・バラハがヘディングシュートでゴール、しかし、アウェイゴールルールでもう1点が必要。しかし、フランチェスコ・トルドの鬼神の如き活躍で点を割られず勝利と。
以下はuefa.comに書いてある部分です。

ラファエル・ベニテス監督は、アウェーチームの“カテナチオ(鍵というイタリア語、鉄壁の守備の意)”戦術に対し、試合を通じて攻撃的なプレーに徹した自チームの態度をせめてもの慰めとした。「敗退することはとても残念だが、今日は“サッカー”が敗北を喫したと思っている」とベニテス。「サッカーというスポーツを守っていきたいならば、反則や時間潰しに対してそれ相応の処罰を与えていかなければならない。我々はとても前向きな姿勢で、とても良いプレーを披露していた。とても残念だ」

この負けた後の捨て科白が忘れられなくて。「インテルのサッカーは全てをダメにする」ってねぇ。
3年後、ベニテスリバプールでその「非常に誤った、まるでスペクタクルもへったくれも無い、ただ守るだけ」の戦い方でビッグイヤーを手にします。彼は忘れたんでしょうね。