がんばれや

未だに、自分の中でしっくり来ない言葉に

がんばろう日本

今回の東日本大震災(当初は東北関東大震災と言われていました)において、英国はインディペンデント紙が「がんばれ、日本。がんばれ、東北」と書いたことが発端と思われるのですが
この合い言葉が日本の東北に住んでいない自分として、どう受け止めていいのかがワカラナイのです。
阪神淡路大震災の時のフレーズは

がんばろう神戸

であって、明確に地名があり、その地に済んでいない人間は「第三者の目から」見守る、応援する気持ちを維持できるのでありますが、日本が頑張る場合、日本に住んでいる私は「はて何を頑張れ?と」とふと冷徹になった場合が悲しくなってくるのです。それに東北に住んでいる人間と他所の人間では頑張る内容度合等違うわけで、同じ方向に向けないはずなのです。
(ついでに現在の社会で、むやみやたらに「頑張ろう」なんて言うもんじゃないよ。鬱病の人間に「頑張れ」は禁句だぞ)
できたら、「がんばろう東北」の方がフレーズとして的確だったと思いたい。
イギリスからしたら、日本だろうと東北だろうと、離れた場所なのですが、日本人の私には明確な紛うこと無き差異がある。この理解の無さは、どうしたらと。官民で「勝手に作った」フレーズに対しての文句でありますが、こうなった理由の非常に大きな理由は「福島県が、東北に入るのを拒否したから」という暗黙の認識があるのだから困る。
この前も復興庁で宮城福島岩手が主導権争いで引っ張り合いしてましたよね。要らんことで頑張るな。
ちなみに阪神大震災と言われていたあの直下型の地震、淡路島も相当の被害だったから名称に「淡路」が入った経緯があります。今回も「三陸」に戻せよ。東日本って「東京から」しか発想できないんだ。