被害者意識

つい、この前の日曜日、東京では放送されないけれど大変面白い番組、たかじんのそこまで言って委員会にて「原爆投下は誤りだったか」という設定の質問がされていましたが、それをアメリカ人に問うことについて、私はその質問自体がそもそも誤りだったと思うわけです。
確かに、広島、長崎と、アメリカ軍が原子力爆弾を投下して、大変な数の死者と、原爆症の被害者を生み出した惨禍に対して、今後「人道的な意味」であってはならない、という意味での誤りは、誰もが認めるところですが、
問題は、戦争状態で、戦争終結の手段としての選択としては、それ以外になかったのなら、どう認めろと言うのか?という、戦後一貫してアメリカ側にある「謝ることの出来ない論理」というものを認めなければならないワケです。どう考えても、非生産的な設定な討論は、何の意図があったのか、不思議に思うばかりです。
で、今回の、原爆式典に出てきた、菅直人というお人は「原子力から転換」を声高に主張するわけですが、そもそも国の主導で進めてきた原子力政策を、今回の事故一発で、いきなり被害者の意識に転換してしまっているわけです。そしてそれまでの全てがまるで誤りであったかのように考えて行動する。国のトップがこのように無責任に発想が変わってしまっていることこそ、広島市長崎市各市長の主張よりも一大事だと、まぁ誰もそんなことを考えて聞いていないんだろうけれど。