そういえば、昨年はいきなりマルセル・デュシャンを横浜まで見に行ったなぁと思い返って、今回は何か良いモノないかなと思ったら、色々とメンテナンスやらでやってないよ。昨年から引き続いてやっている国立科学館の「パール展」か東京都庭園美術館の「マイセン展」がやっているねぇ。絵画じゃないけれど、気になるような気にならないような難しい話だ。マイセンってでも格好いいよな。パールはカルティエがあるらしいし、しかしデュシャンほどの衝撃がないのが難しい。
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最近、自分の身の回りばっかりを書いている気もするので、真面目な話
http://japan.cnet.com/column/web20now/story/0,2000055302,20093869,00.htm
はてなもwikiに近いシステムなので、思うわけだが
Wikipediaのような大規模なプロジェクトでは、自己検閲機能が働くため、記事の正確さはおのずと高まる。誰でも項目を作成したり、既存項目の内容を編集できるため、ボランティアはできる限り正確な記事を書こうとする。このことは、記事の内容を最新の情報に基づいた正確なものとするために、既存の項目に対して継続的に修正が加えられていることからも分かるだろう
って自信を持って言えるのは羨ましい限り。
最近のキーワードに関しての下手な発展ぶりは悲しい限り。
たとえば編集合戦がムダに繰替えされたり、ただキーワードを作るだけが目的になってしまった人間がいたり、キーワードを作るもどこかのサイトの転載だったりする人間がいたり、キーワードによる自分のサイト等の宣伝を行う人間とか、それは必要なのか?
wikiの成功の秘訣は、許可モデルから説明責任モデルに移行したことだと思う。これは記事を編集できる、できないという問題ではない。編集結果が記録され、変更内容に問題があれば、それが全員の目にさらされるということだ
とりあえず、私も最近のサッカーキーワードが殆ど転載によって作られていることの説明を伺いたい。あれ、必要か?