テクノというのは、様々なジャンルの集合体であることは前にも書いた。ウィリアム・オービットも一般的にはアンビエントにカテゴライズされる(前回紹介した「Pieces in a Modern Style」チョット違う)。ところが「El Santo」は現在のトランスの原型のような曲に聴こえてしまう。イギリス、引いては欧州で、世界でリスペクトされるオービットの影響にFerry Corsten(System F)もあったのだろうと推測する。オービットは何十年かたったとしても、テクノ史上で必ず書かれるだろうなぁと思う。しかしながらテクノは音楽史として確立するのか非常に問題があって、初心者が何から入ればよいのか問題になる。それほどまでに拡大された分野になった感じがする。
逆にクラシックは、当たり障り無ければベートーヴェンを聴けばよいのである。音楽史の中で、史上一度も一線から消えることがなかったのはルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェンだけである。ヨハン・セバスチャン・バッハメンデルスゾーンダヴィドが再興するまで忘れられた。モーツァルトも一部のオペラと一部の曲だけしか演奏されなかった時代がある。ハンス・フォン・ビューローがいう3Bであるが、バッハは前述通り、ブラームスは時代が近すぎる。しかしベートーヴェンは違うのである。交響曲も、弦楽四重奏曲も、室内楽も、ピアノ曲、ミサ・ソレムニスも今までに至るまで音楽史から忘れられることはなかった。現在までにベートーヴェンのような存在であるテクノの人間はいるのであろうか?それを少々思い詰めてみた。なにせAphex Twinが「テクノ・モーツァルト」といわれ、最近一線に出てこないから。それは彼のPV作品を監督するクリス・カニンガムも同じか。