ショスタコーヴィチの12番って、聴けば聴くたび面白いと思うようになってきた。最終楽章のDSCHのピッチカートで四拍子から三拍子に変えたところが、渦を巻いたように四拍子に戻したりすることや、音響効果によって粗雑な状況を表そうとしているところとか、意味不明なファンファーレで終わるところは、それは、ソ連の為せる業。
ただ、この曲が、同時代のセリー主義とか音楽は煩雑になり効果のみを求め、旋律と曲想を喪失しそうな時代に、できていることは、良いのか悪いのか、別として、重大かと。