さて、本題のフルトヴェングラーであるが、どこだったかにベートーヴェンの演奏についての文があった、「ベートーヴェンでデビューしようと思うバカなどいるはずがない」というような内容だったはずである。何せ白水社の本3冊のどこだったか思い出せないが、短く印象の強い文だったので内容は記憶している。
それで昨日のアシュケナージの演奏は、明らかに古楽器奏法の影響を受けたヴァイオリンの音色と木管(フルートとピッコロ)がやけに耳に突く。あれは昔のNHK交響楽団ではありえない。シャルル・デュトワでもありえないことだと思うが、デュトワはドイツの伝統的な音楽を得意としない(演奏した記憶がない)指揮者であるが、彼はオーケストラの統率は上手だが、今回は無秩序に近かった。もし、同じ「運命」をヘルベルト・ブロムシュテットが、ヴォルフガング・サヴァリッシュが、オトマール・スウィトナーが演奏したらあんなことになっただろうか?もはや昔のN響からはかけ離れた。大きく。
ところで、昔、ベルナルド・ハイティンクが自分の昔のオケを聴き、「もうコンセルトヘボウの音じゃない」と言ったらしい。それはアムステルダム・コンセルトヘボウ(ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団のこと)伝統の音が消えたことらしい。原因は音型の基礎となるコントラバスの運弓法が代わって音形が変わってしまったかららしいが、今回のN響コントラバスの音が良くなかった気もするなぁ。
ちなみに、古楽器に全ての罪があるとは言っていない。ニコラウス・アーノンクール(彼の著書古楽とは何か―言語としての音楽を読むと、それは何たるかよくわかる)筆頭に彼らがやったことも在る程度は認められるとは思うが、それに釣られて演奏法が変わりだし岐路に立たされたモーツァルトシューベルトとは違い、それでも音楽の「意志の強さ」を見せるベートーヴェンには逆効果にすら聴こえるというだけ。