今回の、東日本大震災においての、菅直人のアホの対応の悪さからし
どんなに悪いリーダーでも、対応が取れるようなシステム構築を考えるという発想は悪くない。
(文言的には、多少強引だったり、問題があったりするかもしれないので注意が必要であるが、「外的からの侵略とと、大規模な自然災害と、経済恐慌と、では大きく違うので現状のまとめた発想から脱するのは悪くないと思っている)
それくらいに、今回の内閣総理大臣である菅のアホの動きはマズいのである。
で、私も「国家緊急権」中心に憲法の本や論文を見ていたわけだが、
「『国家緊急権が想定するような、事態なんか、存在しえない』という前提の元、そういう文言は必要ない」というのが大半だったのが、一番驚愕的な事実だったのである。「政治に任せましょう」というのが究極的結論だったわけである。
勿論、憲法を修正しなくても、本当に「政治がしっかりしていれば」(緊急事態を宣言し、危機管理の対応をしっかりすればよかったんだよ、実際)、と思う向きがあるのは正しいが
どう考えたって、余りにも広範囲で、地方自治体にできる限度があるし、国にいちいち反応を待っていては時間が掛かるというときに、(権利を一時的に停止する等)変更する理由がそこに存在しているわけであって
それでも憲法を考え直す必要は無いの?って思います。
国家緊急権もそうだが、平和主義という文言の元、平和な状態が常に続くわけで、彼らの論理では

Q. 外的が侵略したらどうなるか?
A. 非戦の態度で平和を説けば、相手は納得する

というお話で通じるのである。マジか?というのが国家緊急権を否定する論理ですよ。(北朝鮮が簡単に攻めてきても1日で落ちるね、さすが社会党
ちなみに、自由主義発想でも、人間がが自由を求める権利の究極的な権利が「平和を求める権利」であることから、「平和」って恩恵に与るものか、勝ち取る(アメリカが「平和のための戦争、戦争をなくすための戦争」をする理由もなんとなくわかってきた)ものなのか、大変難しいモノですね。
地震による津波原子力発電所放射性物質の問題で被害を被っている、宮城県岩手県三陸地方や福島、漁業農業で言えば茨城や千葉の人たちが、平和な日々を送ることになるのは、いつまで待たされるのでしょうか?これもまた「平和」を考える一つの問題なのです。