ショスタコーヴィチ交響曲の中で最も素晴らしいのは15番だと思っているが、13番という声も多い。ただ楽章だけを挙げるなら10番の第1楽章である。13番については声楽付きであるので評価がし辛いのが難点である。これを挙げる人間は大抵8番の延長であることを理由に論を伸ばすことが多い。逆に15番は難解で理解不能という声もよく聞く。これを挙げる人間は最終楽章の完成度などを挙げる。交響曲5番を挙げる人間が多く見かけるが、7番、8番のほうが同じグループとしては遙かに曲として上である。5番がいち早く知名度を上げたのは曲がわかりやすかったことに他ならない。(死刑を免れるために作った曲だから理解されなければ困る状況だったし)4番は個人的に苦手なだけであり、いつか好きになっているかもしれない。
しかし、今日は交響曲の12番「1917年」である。
この曲は演奏機会が少ないし、録音も少ないのであるが、もっと為されても良いと思う曲である。
音響効果も面白いし、物語性も面白いし、何より作曲家の諧謔的な皮肉に満ちたメッセージが見事に込められていることが大きな要因である。絶対音楽としての魅力と言うよりも標題音楽としての魅力の方が強いのであるが、筆の速い作家のらしさが出るのはこういう音楽かもしれないな。音楽内容も両端楽章に比べると中間楽章の印象が薄いし。ただ全楽章に流れる1楽章の第2主題とEsBCのメロディーである。これを意味することを理解し出す魅力有る曲だ。
それで、この曲は一応、交響曲11番と対になっていると言われるが(何度も聴くと異なって思える)、双方を同時期に録音することが少ない。全集以外にあまりない。全集もそんなにないショスタコーヴィチだが。ルドルフ・バルシャイ、キリル・コンドラシン、ベルナルド・ハイティンクゲンナジー・ロジェストヴェンスキーくらいだよね。12番はエフゲニー・ムラヴィンスキーの録音が凄絶さなら一番。
ただ傾向として、ショスタコーヴィチの音楽はピアニスト(第1回ショパンコンクール2位)らしく、ピアノで作った曲をそのまま管弦楽に移し替えたような印象をいつも感じる。だから木管殺し。