大局観

さて、アメリカンフットボール、サッカーのほうのフットボールに一番熱中している人間が
たまたま、テレビ朝日報道ステーションなる番組を見ていたら
「広島の好調の要因は守備、ファウルボールに3人が追いかけていくくらい
という、野球解説者の栗山秀樹の言葉を聞いて、私は唖然としたのである。
アウト1つを取るのに、1番確実にアウトを取れる選手が追えばアウトのはずなのであるのに、わざわざ3人で追いかける必要性を全く感じないのであるのに、解説者がそれを熱弁しているから、余計に意味不明に思ったという事実。
(私は、解説者がそのときにレンジファクターで分析した数値を出したり、投手が如何に効率的にアウトを取れるかとか、試合の勝利にどうつながっているかを説明して欲しかったのである)
さて、今年に入って、野球解説について、批判する、9回裏無死1塁でバントはするな(祥伝社新書234)プロ野球解説者の嘘 (新潮新書)、と言った本も出ているわけですが、それこそ解説って、「何を」解説するの?って思ったのだが
1日ほど経って思ったのは、野球という競技だけだと思うが、「ピッチバイピッチといったことの解説が、試合全体の解説を為さない」競技、という結論に落ち着いた。
27のアウトをどう取るか?という全体的な局面についての解説が不要なので、解説者はテキトーなことを喋っていれば良いのであると。だから川藤幸三でも充分なのである。
「どう打ちましょう?」「来た球を打つ」で充分なのである。
(野球解説者が、現場の人間と全く関係ないことをいうのは、20年以上も前からの伝統でもあると、誰だったかの本にも書いてあった)
ボールデッドの時間による、試合中断の多い競技であるアメフットも、プレーバイプレーの解説が主だった解説となる競技だけれど、ラン主体パス主体のバランスといったシーケンスがあるし、ディフェンスがディスガイズやらどうやらこうやら相手を罠にかけたりと、最終的なビッグプレーに繋がったり、明らかにモメンタムを感じる競技であり、大局を戦術戦略を分析解説する必要がある競技だけれど、
野球の場合は投手さえ良ければどうでもいい競技なんだなと。(27アウトを投手が取れば完全試合